日本最古の花街島原 - 遊郭建築の魅力に迫る
島原は日本で初めての公許花街として栄えた地域です。幕末には薩長土肥の代表的な人物、西郷隆盛・桂小五郎・坂本龍馬などの討幕派の武士。討幕派を取り締まった新選組の近藤勇・土方歳三・芦沢鴨らがよく足を運んでいたとされています。
島原の入り口「島原大門」
寛永18年(1641年)に公許花街として開かれた島原は、江戸の吉原、大坂の新町と共に日本三大遊郭として数えられ、ほか二つの遊郭と同じように周囲を塀で囲み、出入り口に大門を設ける構造になっています。
輪違屋と角屋
メインストリートの最初の角を右に曲がると輪違屋が見えてきます。現在も太夫が数人在籍する現役のお茶屋さんです。正面の繊細な格子と軒先の軒行灯が創業当時の雰囲気を醸し出しています。そしてここは京都市有形文化財に指定されています。
次に島原大門から3つ目の角を左に曲がると角屋が見えてきます。こちらの建物は日本に唯一現存する揚屋建築の建物で、国の重要文化財に指定され、平成10年からは角屋もてなしの文化美術館として、建物の保存、美術品の展示を行っています。
置屋とは太夫や芸妓を育て住まわせる場所、揚屋とは、「客をもてなす場所」という意味があり、江戸時代の民間の大型宴会場でした。
古い建築物や幕末の歴史に興味がある方、ぜひ足を運んでみてください。
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