銭湯の持つ「力」を多くの人に伝えたい。|取材後記 - 下京×銭湯力

私たちのテーマは「銭湯力」。

銭湯といっても多くの人が抱く印象は「お年寄りが行くところ」というものではないでしょうか。確かに銭湯には多くのお年寄りが利用されています。しかし、近年の銭湯事情は少し違ったものになってきているのを御存じでしょうか。


京都で「外国人を見ない日は無い」というくらい近年は海外からの旅行者が多いのです。その影響もあって、下京区では宿泊施設の建築が盛んに行われており、それに伴い観光客が年々増えています。実はそういった状況の裏側に「銭湯の需要」が高まりつつあるのです。

特に海外の観光客たちは日本文化を体験したいという理由や宿泊する浴室が狭いという理由から銭湯に訪れる人が多いです。現代の銭湯とは決してお年寄りが訪れる所だけではなく、むしろ日本の文化として世界に認識されています。


しかし、そういった魅力がありながら、下京区界隈ではそれに気づいていない人が多くいるように感じます。


江戸時代の京都は職人たちの住まう町として、その汗を流すための多くの銭湯がありました。

しかし、近年では店を畳む銭湯が増え、ここ二、三年だけでも数十件の銭湯が姿を消しています。そうした多くの人たちの需要がありながらも、その魅力に気づけないのはとても惜しいことですし、できることならこの日本の文化を後世に残していきたい、銭湯の持つ「力」を多くの人に伝えたい。

そのため私たちは下京区の「銭湯力」を紹介させていただき、改めてそれが持つ魅力に気づいてもらおうと思いました。


 今回は取材させていただいたのは「東湯」、「稲住湯」、「小町湯」、「五香湯」、「サウナの梅湯」、「桜湯」「白山湯」、「島原温泉」、「大正湯」、の9件の銭湯屋さんです。

どの銭湯さんも快く取材を受けていただき、本当に感謝の言葉しかありません。ぎこちない雰囲気を醸し出していた私たちを笑顔で迎えて下さり、様々な私たちの質問に対しても真剣に取り合ってくださいました。

実際にお話を聞いてみて感じたことは、やはり私たちは銭湯について何も知らなかったということです。そしてどの銭湯屋さんにも共通した心構えがあり、同じ問題を抱えているということでした。


時代が進むにつれて、私たちのヘアスタイルが変わるように銭湯も時代に合わせて進化していました。海外のお客さんが多く訪れることもあり店内はほぼ英語表記で埋め尽くされており、英語が話せる番頭さんが多かったです。

海外の観光客に話を聞くと、銭湯という文化は新鮮だと言い、特に電気風呂は驚いたと笑って答えてくれました。彼らは体を洗うという目的よりもむしろ観光目的で訪れており、その要望に応えるために今の銭湯は様々な工夫が凝らされています。浴室の内装や飲食物などに力を入れ、中には銭湯をライブハウスとして貸し出しているところもありました。

それらは私たちが持つ銭湯の印象とはかけ離れています。

むしろそういったものは「スーパー銭湯」であるように思いました。

では現代においてスーパー銭湯と銭湯の違いはどこにあるのでしょうか。そうした取材の中で私たちは全ての銭湯屋さんにお尋ねした質問があります。


それは “銭湯とは何か” です。


もし皆さんが尋ねられたときどう答えますか。

「大きな湯船がある所、日本の昔からの文化、手ごろの価格でお風呂を楽しめる所。」

私が思いつくのはせいぜいこのくらいです。


でも取材させていただいた皆さんの答えは違いました。


銭湯とは何か、それは訪れるお客さんが決めるというものでした。

おそらくこれが銭湯の持つ力であり、魅力なのかもしれません。人それぞれに銭湯に通う目的は様々です。体を洗うため、観光地として、健康のため、コミュニケーションの場所として、風呂上がりの一杯のビールの為。すべてが違った目的です。

しかし、どれもが銭湯の定義に当てはまっているのです。どんな理由であれ受け入れてくれる寛容さ、それが「銭湯」です。そして多くの人の目的に沿うことができるように下京区界隈の銭湯屋さんたちは進化してきたのです。思い返してみれば、取材させていただいた時からその寛容さはあったように思います。


そして、最後に私たちが伝えたいのは、下京区界隈の銭湯が直面している現実です。

近年、銭湯の数が減少していると冒頭でも言いましたが、その理由として私は「後継者問題」や「番頭さんの高齢化」が原因にあると考えていました。


しかし実際はそうではありませんでした。一番の問題は「お金」です。京都の銭湯は昔からある所が多く、リニューアルを繰り返して今日まで続けてきました。しかしその度に何百万円もの費用が必要になります。設備も改装できていない状態で誰かに継がせる訳にはいかい、そういった理由から多くの銭湯が店を畳んできたのです。

下京区の銭湯には多くのお客さんや観光客の人たちが訪れます。そうしてそういった人たちの要望に応えている銭湯屋さんですが、それは安定した利益を約束している訳ではありません。毎日来る人はせいぜい地元の少数の人だけで、経営面で苦労することは絶えないとおっしゃっていました。

海外の観光客も多くの人が銭湯の場所を知っている訳ではなく、大きなサイトなどに紹介されているような銭湯には足を運ぶがその他については何も情報がないのが現状です。せっかく沢山の需要がありながらもそれを上手く活用できていないのはとても歯痒いことです。

だからこそ、今回のような記事を載せて頂ける私としても、そして銭湯屋さんたちにとってもありがたいことでした。彼らがなぜこんなにも取材に前向きに受けてくれたのかは、こういった背景があるのかもしれません。


こうような問題を打開するためにはこうした記事を上げるのも大切ですが、京都市全体に注目してもらわなくてはならない何も始まらないように感じます。近年では空き家問題などが京都で騒がれていましたが、それを宿泊施設にリニューアルすることで上手く活用しています。

銭湯もそのような活用法があるように私は考えます。隣接するホテルやゲストハウスと提携することでその顧客を安定して銭湯が獲得でき、その観光客も日本文化にふれられるといった利点があるように思われます。

私は経営について何も知りませんが、このまま市が何も対策しなければこの銭湯の減少傾向は止まらないでしょう。そしてそうしたときに一番困るのは京都市のように思われます。

廃業された銭湯を処理するのに一体どれほどの費用が掛かるのか。その費用と町の銭湯を存続させる費用を天秤に賭けた時にどちらに傾くのか。社会全体の流れを重視した時に、銭湯の経営問題はこの京都市にとっても向き合うべき問題ではないでしょうか。


一人で生きていける社会だからこそ、私たちは銭湯屋さんのような人の温かさを大切にしていかなければいけないのではないと感じます。そして銭湯には、私たちが忘れかけている大切な「力」があるように思われました。

社会とつながる文学部 Ryukoku Letters +Social

龍谷大学文学部での「学び」を活かし、大学生たちが京都市下京区の「魅力」を独自のテーマで切り取ったオリジナルマップの制作に取り組んでいます。

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